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straysheepのなにか好きなもの

フィギュアスケートと読書と映画と雑貨といろいろ、について

それで読んだと言えるのか、どうか?

新潮モダン・クラシックスのシリーズから、プルースト失われた時を求めて」が来週刊行されるそうです。
全1冊で!


ぜ、ぜ、全1冊って?!
私、ビビリました。

フランスのマルセル・プルーストの「失われた時を求めて」は通常文庫だと14冊となる長い長い物語で、しかも未完ときてるために読了するのが難ししいと言われる小説。
有名な、マドレーヌを紅茶に浸して食べた途端ママンを思い出し、幼い頃の回想にはいるのは第1編の「スワン家のほうへ」。
あと、世界名作文学全集などに収録されているものは第2編「花咲く乙女たちの影に」が多く、私の母などこれを読んで面白かったと述べていました。

失われた時を求めて〈3〉第二篇 花咲く乙女たちのかげに〈1〉 (集英社文庫ヘリテージシリーズ)

私も数年前に新訳が出版され、読んでみようと意気込んだものの、、、長くて挫折。
でもいつか、死ぬまでに一度は読破したい小説。
岩井俊二の映画「LOVE RETTER」でも大切なモチーフとして使われていたので、更に私の中の思い入れが強いってあうのもある。

そんな作品を1冊って、びっくり。
それで読んだとして、それはあらすじやダイジェスト版を読んで「読んだ!」ことにしちゃってるのと同じなのでは?

失われた時を求めて」は人間の思考の変遷や移り変わりを丁寧に描いており、読み始めてすぐその世界観に引き込まれたのを覚えている。
学生時代の夏休みとかに読み始めていたら、多分読破していたと思うし。
途中、中断してしばらくして読み始めても、少し戻ったりでなかなか進めなかったのが敗因だったし。

えっと、まさかそういう人むけなのかしら、、むしろ私みたいな人が読むべき?

でも、と私は思うのです。
あらすじだけ読んで物語が分かればいいのか、と。
作者の文体や癖などは翻訳を読んでる私にはわからない。
もっと言うならば、私はもっと外国語を勉強して原文を読めたならよかった。
けれどそれが叶わないなら、翻訳者がプルーストや当時のフランス、翻訳するにあたっての言葉を選んでくれたそれをちゃんと読むことにしたい。

読んでいないから本当はなにも言うべきではないんだろうけれど、この新訳モダンクラシックスの「失われた時を求めて」は、角田光代さんが翻訳したわけでもないわけでしょう。
誰かが翻訳したものを読んで、1冊にまとめる編集をしたのが、角田光代さん。
(編訳とあるから、もしかしたら翻訳して編集したのかもしれない?)
確かにあれだけのものを読んで咀嚼して1冊するのは大変な作業だと思うけれど、、、

私はこういうシリーズが乱雑に刊行されるのが嫌。
このままでいくと、「カラマーゾフの兄弟」とかも有名な作家に編訳させちゃったりしそうで心配となります。

それともこれを入門編として、よしっと気合を入れて全巻読破を狙うか。
う〜ん、内容を読んでしまって新たに挑む人は少ない気がする。
少なくとも、私はできない。
ので、プルーストの全14巻読む日まで、お預けだな。